大乗仏教(維摩教=ゆいまきょう) |
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2017年 07月 15日
紀元前500年にブッダが生まれた当時 初期の仏教用語で「空」=「無い」だったそうです。 川の向こう岸(彼岸)に渡ったら(個人が救われたら) 教え(乗って来たイカダ)を捨てて良いと言う仏教は 世界に類を見ない「教義の否定を勧める」宗教です。 仏陀は「とにかく今を生きる為に 仏教の教義を一時的にでも利用して欲しい」 と言う事の様です。 仏教は常に 「根本解釈を変える事で中空(立)構造を保った」 宗教の様です。 信じるか信じないかのどちらかを選択する様な 原理主義者を作らない「安全装置付き」構造です。 他の宗教では その中心教義を否定すると 大変な事(戦争・差別)になります。 その後500年経過し出家者ではなく 在家者の維摩(ゆいま)と言う人が 「空」を追求し「大乗仏教」を作りました。 修行に励み教義を説く釈迦の弟子(出家者)に 教義の解釈へのダメ出しをしました。 修行のための修行や 実生活に結びつかない教義の解釈を戒めました。 「空」や「無」の解釈は 二重構造になっていて難しいですが その「あいまいさ」が人々を救う様です。 修行(出家)者は人一倍の悩みや苦しみを持った人で それを忘れたい為の苦行が出来る様です。 苦しみが強い人ほど 自己コントロールの為の苦行が必要かもしれません。 また釈迦は出家者に 「自分のためだけ」の修行の完成を「戒めて」います。 一般の人々(在家者)にとってこそ役に立つ 出家者になる様に命じています。 私の様な凡人には 苦行するには「値しない」悩みや苦しみしかなく 幸せなのかもしれません。 健康な人を 無理矢理入院させるような病院が無いのと同様で 大乗仏教は「苦しんでいる人だけ」を受け入れる 病院の様なものですね〜
by 600-1100
| 2017-07-15 10:27
| 100分で名著
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