職場色々(2) |
セカンドローテーションで御世話になったのは
人口4万人の静かな日本海側にある街でした。
当時、60歳の医局の先輩2人で
外科病院を経営されていましたが
終戦直後の外科医局から
今の整形・脳外科・麻酔科が分化したそうです。
何でも経験された先生方なので良い意味で
「何でもあり」の経験をさせて頂きました。
田舎なので外傷も多く
大学でもCTを予約するのに「1週間かかった」時代でしたが
個人病院でも必要な検査機械は
全てあり(エコー・透視台・上下内視鏡・CT・シンチグラフィー)
検査・外来・治療と忙しい毎日です。
勿論、すぐに診断・治療ができます。
硬膜外麻酔やセルジンガー(血管造影)も教えて頂きました。
院長命令が全てでしたが
患者さんの為には優しい先生方でした。
仕事は夕方の5時にはピタッと終わります。
院長の自宅が隣なので
当直もありません。
鮎釣りの時期だけ
電話がかかってくる位です。
市内の中心ですが
午後8時には真っ暗で静かです。
すぐ隣が私の家(立派な蔵が付いていました)になりましたが
毎日帰宅すると
娘を散歩や入浴させたり
日曜日は家族で周辺をドライブして食事ができました。
急に規則正しい生活になりました。
個人病院の経営も経験させて頂き
今の基礎にもなっています。
その後はいくつかの外科病院の
ローテーションがありましたが
やはり最初の数年間が大切だな~と思います。
帰局した大学の研究室では
外来・研究・学会・アルバイト等の
忙しい日替わり生活でしたが
アルバイトで数多くの医療機関を
内側から観る事ができた事が
最も今の役に立ちました。